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上杉鷹山
来年のNHK大河ドラマは『天地人』 彼は純潔な愛と尊敬の念とをもって彼女を遇し、彼女に玩具や人形を作ってやり、あらゆる方法をもって慰め、夫婦たりし13年間、彼は己の運命に何の不満をも示さなかった 一.国家は先祖より子孫へきちんと伝えていくべきものであり、自分が私物化してはいけません
主人公は直江兼続です。
上杉景勝の家老としてつかえ、
あの徳川家康でさえ一目おいた文武を兼ね備えた智将。
来年の日曜日、夜のお誘いは全部パス
今から楽しみです。
私は上杉謙信が大好き。
そして、上杉家にはもう一人凄い人物がいる!
その人の名は上杉治憲
剃髪して「鷹山」と号したことから、
むしろ上杉鷹山の名で親しまれています。
上杉鷹山の言葉として有名なのが『伝国の辞』です。
上杉鷹山は米沢上杉家の9代藩主です。
九州の高鍋藩主秋月種美の次男として生をうけましたが
上杉家8代藩主重定の養子となって家督を継ぎました。
ちょっとややこしい話になりますが、【上杉家】は【長尾家】でした(?_?)
本来、越後の大名である”越後上杉家”の家臣の家柄だったんです。
しかし主家が断絶したことから、
”越後上杉家”に代わって越後の大名と公認されます。
さらに上杉謙信の時代には、
関東随一の名家”山内上杉家”の家督を譲り受けます。
一口に【上杉家】といってもたくさんの分家があるんですが、
その中でも”山内上杉家”は上杉宗家とされる由緒ある家柄でした。
以後、謙信は伝統ある上杉姓を名乗ります。
家格もさることながら領土も着実に拡大。
晩年には北陸一帯を支配する大国に押し上げます。
しかし、そんな名家も江戸時代には極貧にあえいだ!
生涯”不犯”を貫いた謙信の跡を継いだのが甥の上杉景勝です。
謙信ほどの器量はないものの、
それでも90万石を領する大大名の地位を維持していました。
上杉景勝は豊臣秀吉の命で会津へ移封されます。
会津は東北の要であり、
それだけ上杉家を重視していたともいえるでしょう。
石高も120万石
決して冷遇されたわけではありません。
不遇の始まりは関が原の合戦。
西軍に属した上杉景勝は取り潰しこそ免れたものの
米沢30万石に減封されてしまったのです。
いってみれば、
年商120億円の売り上げが30億円に減ったようなもんです。
今時の経営者ならこう考えるに違いない……
リストラをするっきゃない!
ところが、
上杉景勝は家臣をリストラしなかった。
そのため”人件費”が藩財政を圧迫したのです。
不運はさらに続きます。
3代藩主綱勝は跡継ぎを残さないまま急死してしまいました。
普通ならお家断絶でもおかしくない。
それは何とか切り抜けたが、またしても15万石へ減封。
それでも、藩祖景勝の”言いつけ”を守ってリストラしない。
年商15億円の企業が年商120億円時代の”社員”を抱えているんだから
ますます貧乏になるのは必定。
鷹山の養父8代重定のころには借金20万両に達したといいます。
1両=10~20万円と考えられることから、
現在の金額になおせば数百億円という莫大な借金です。
明治維新はまだまだ遠いのに、
上杉家は自ら版籍を返納しようと考えるまで追い詰められます。
さしずめ、財政再建団体に転落する寸前だったわけですね(T_T)
上杉鷹山が藩主の地位についたときにはこういう有様。
決して「藩主になれてラッキー」なんて浮かれていられる状況じゃなかった……
ところが、ところが、
上杉鷹山は藩財政の建て直しをすすめます。
おかげで、
鷹山が亡くなった数年後にはキレイに借金完済!
ときあたかも、天明の大飢饉が襲います。
とりわけ東北地方の被害は甚大でした。
いたるところで子殺し(間引き)が行われたばかりか、
人肉を食らったという記録さえ残されています。
しかし、米沢藩では一人の餓死者も出さなかったそうです。
まさに江戸時代最高の名君です
生活にあえいだ民衆の暴動が革命に発展します
これがフランス大革命っていうわけですね
彼の名は日本よりも外国に知れ渡っています。
明治時代、新渡戸稲造は日本を外国に紹介するために1冊の本を書きました。
『代表的日本人』
この中に上杉鷹山が取り上げられていたからです。
こんな一節があります――
彼、すなわち上杉鷹山の正室は養父重定の娘幸姫
鷹山とはほぼ同じ年ながら、彼女は脳に発達障害があったらしい……
成人した後でも10歳の幼女同然だったようです。
さすがの重定も離縁をすすめたほど。
しかし、上杉鷹山はそれを断固拒否ーーーー
どんな境遇であろうと一人の女性すら幸せにできない人間が、
主君として家臣や領民を幸福に導くことなどできない……
私の勝手な想像ですが、
そんな風に考えたんじゃないかっていう気がします。
跡継ぎを遺すために迎えた側室もたった1人だけ。
大名としてはむしろ異例の少なさです。
しかも、生涯にわたって正室として遇しませんでした。
冷たいお人だったからではありません。
先立たれた後にも、幸姫を正室と想い続けていたからなんでしょうね。きっと
上杉鷹山が激務の合間を縫って幸姫と仲睦まじくすごす姿に
その場に居合わせた侍女たちは涙したといいます。
ただし”優しい”だけのお人柄ではなかった。。。
藩の出費を抑えるため、上杉鷹山は大倹約令を実施します。
要は節約――っていうわけです。
自身の生活費も7分の1に切り詰め、
食事は一汁一菜におよそ大名らしからぬ粗末な衣服。
50人いた奥付女中も9人に減らしました。
しかし、特権にあぐらをかいてきた藩上層部は若い藩主の改革に猛反対!
筆頭家老2名を中心とする7名連署の改革批判書が提出されます。
いつの時代もいるんだよね~
自分の保身だけしか考えない”重役”が……(=_=)
この危機に際してとった上杉鷹山の行動も、異例中の異例だった。
重臣の批判に怖気づいたわけでもなく、
頭に血が上って激怒したわけでもない。
すぐさま全家臣を招集し、自分への批判が是か非か意見を述べさせました。
今でいえば、さしずめ総選挙に打って出たようなもの。
正々堂々と、家臣の審判を仰いだわけです。
家臣たちは即答しました。
鷹山の改革が正しい――と。
家臣の支持がないとわかれば潔く引退する覚悟で臨んだ上杉鷹山
”世論”を確認するや否や、断固たる措置をとります。
首謀者である2名の筆頭家老は即刻切腹!
他の5名も給料50%カットの上、閉門蟄居!
”障害”に屈することのない強い意志の持ち主だったんですね~
鷹山を養子に迎えた後になって、養父重定には男子が生まれます。
うわ~、複雑。メチャクチャもめそうーーーー
そう考えるのは凡人の浅はかさ。
上杉鷹山は重定の実子治広に家督を譲って早々に隠居しちゃいます。
そのとき、
鷹山が治広にきつく申し渡した藩主たるものの心得が、
伝国の辞
代々上杉家の家訓として大切に守られてきた”戒め”なのです。
これを現代風にすればこんな感じ……
「国家」を「会社」、「君主」を「社長」、「人民」を「社員」と読み替えると、
一.人民は国家の人民であり、自分が私物化してはいけません
一.国家や人民のために君主がいるのであって、君主のために国家や人民があるのではありません
この3ヶ条を肝に銘じ、決して忘れてはなりません
さらに迫力が増すかも……
今から200年以上も前のお言葉です。
上杉鷹山は、世界に誇れる偉大な政治家です
私が仕事をしている事務室の壁には、
この『伝国の辞』のレプリカがかけられています。
私の座右の銘です。
とても及ぶべくもない偉人ですが、
毎日眺めながら、少しでもこの人に近づけたらと心を引き締めます。
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お久しぶりです
こちらこそ
来年は大変な一年になりそうですが、
ぜひぜひ、先頭に立ってガンバッテくださいね。
「FPの家」にお住まいの方はみなさん\(^o^)/です。
この笑顔を一人でも多く増やしたいですよね~
来年も、どうぞよろしくお願いします。
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いつも読ませていただいておりますが、今回のは・・・ん~ん、なかなか・・・。
こんな素晴らしい方だったのですね。